ハヤネハヤオキロク

早寝早起きを目指すアラフォーのブログです。

耳に残るは君の歌声

コロナ感染12日目。

相変わらず倦怠感酷いけど、15分ほど散歩できるようになった。

あと少し、あと少しで普通の生活ができそうな予感。

目標は、あと10日程度で普通に外出したり、数時間机に向かえるようになること。

頑張れわたし。

 

耳に残るは君の歌声

時間を持て余して、ふと昔観た映画『耳に残るは君の歌声』を思い出しました。配信されてないようなので、記憶を辿って振り返ります。

※超長い上にオチもないのでお暇な方向け

 

ストーリー:第二次世界大戦下、ユダヤ人少女フィゲレの父は出稼ぎのため単身アメリカへ旅立つ。その後フィゲレは故郷の村を追われ難民となり英国で養女になる。成長したフィゲレは父を探す旅に出る。

 

今回語りたいのは、フィゲレちゃんのアイデンティティを守る姿勢についてです。

元々、村の仲間とアメリカに行くはずがなんやかんやあって仲間とはぐれ、一人ぼっちで英国にたどり着く。

スージーという英国風の新しい名前を得て、そこそこ裕福っぽい家庭に引き取られる。

 

でもフィゲレちゃんはその状況に全っ然納得しねーのです。

養母が、フィゲレちゃんが唯一持ってた(本当の)お父ちゃんの写真を額に入れてリビングに置いとくんですね。

したらば、フィゲレちゃん(推定5歳)が夜中に棒で額のガラスを激しく割って写真を取り出そうとするんですよ。

お父ちゃんの写真を返せと。それは自分が持ってるべきものやと。

 

学校では、音楽の先生が歌の才能を見抜き、特別レッスンをしてくれます。

でもフィゲレは英語が話せないので、イデイッシュ語を英語に矯正するところからスタート。

途中、英語を話すことに反発するフィゲレは先生に手を打たれます。

『英語を話すんだ。英語を話せばここで生きていける』(うろ覚え)

実は先生も、同じく英国に亡命してきたユダヤ人だったのです。

 

先生のおかげもあり、フィゲレは英語を話せるようになり全校生徒の前で歌を披露したり才能を開花させていきます。

そして18〜20歳位の年齢になったら、養母からお父ちゃんの写真を取り戻し単身パリに向かいます。(アメリカへの旅費を稼ぐため)

この時のフィゲレの養母への視線の鋭いこと、冷たいこと。

 

詳しい描写はないけど、養父母はきちんと養育してる雰囲気もあり、フィゲレの旅立ちに悲しそうでもある。

 

フィゲレの行動の激しさに胸を刺される瞬間がある。ずっと、自分はスージーではなくフィゲレだという確信を持ち続けていた。確かな身分と衣食住があっても満たされないものがあった。

フィゲレが一番大事にしていたのは、英国での豊かな暮らしではなく、焼き討ちされた貧しい村での父と祖母との暮らし。

 

私は母と折り合いが悪くて、故郷にもなかなか帰れてません。また、物心ついた時から絵を描くのが好きで学生の時賞を取ったり、ささやかながら才能があったけれど、母が絵を描くことを憎んだので辞めました。

 

母に愛されたかったからです。

 

でも結局、絵を描かなくても母とは上手くいきませんでした。

なんかもったいなかったな、と思って、心のゴミ箱から『絵を描く行為』を引っ張り出してきて、最近クロッキーなどを始めた次第です。